誰がために寿司は廻る

一人暮らしの社会人が好きなことを書きます

雑記

どうも日記を書くのを忘れてしまう。

私はやるべきことがあると、やらなきゃやらなきゃと思いながらも目をつぶって後回しにしてしまうタイプなのだけれど、このブログに関しては書かなきゃ書かなきゃと思いながら書かないでいるわけではなくて、完全に存在を思い出せずに1日が終わってしまうのである。

毎日寝る前などのまとまった時間がありそうなタイミングに「日記」とアラームをかけておくのはどうだろう。しかしそれでは何か強いられているタスクのように感じられて、書きたいものも書きたくなくなるような気がする。逆に、毎日書くことができないのなら毎日書くなんて言わなければいいんじゃないか?という発想が出てきたりもした。日記なんて無理して書くものでもないじゃないかという気持ちと、日記ぐらい毎日書けなくてどうするんだという気持ちと、毎日日記を書いて何かを残しておきたいという気持ちが自分の中にあって、なんというか結局言い訳みたいにしかならないし自分はつくづく面倒な人間だな、などと思う。

もう少しテーマ性のある、というかまとまった文章を書きたいとも思うのだが、そうするとどんどん日記を書くこと自体がおっくうになってしまいかねない。

 

今日は家庭教師のバイトに行ってきた。水曜日の担当は、朝鮮学校に通っている中学2年生の女の子だ。マジメで素直で勤勉な子なのだが、数学をはじめとする理数系の科目がとにかく苦手で、受け持ってからの1年間ほとんど数学だけを教えている。1、2回は定期テストの直前に化学を教えたこともあったかもしれない。

私も自分は数学はかなり苦手だと思っていたが、それは私立の名門(?)進学校に通って東京大学なんぞを目指していたせいであり、よく考えれば中高時代は平均以下の点数は滅多に取っていなかったし、君はその授業態度さえ改めれば特待生も夢じゃないと担任に言われることも多かった。確かに中学受験のために塾で算数を勉強していた小学校時代は出来の悪い子供であったが、それでも学校では常に満点だった、つまり私はレベルの高いところでしごかれていたから数学が出来ない方だと思っていたが、世間的に見たら全くそんなことはない、それどころか数学は出来る方なのだった。こういうことを考えるようになったのは、1年ほど前に家庭教師をはじめて、本当に数学が苦手な子供と接するようになってからだった。そんなことに気付くのに随分時間がかかったものだ。

それともうひとつ、その朝鮮学校の女の子は先にも書いたようにとても素直で、私はこのことにいつもびっくりさせられる。嘘はつかないし、宿題はたまに忘れることはあるがちゃんとやるし、問題を解くときも一生懸命だし、ついでにガチガチの運動部で(いやそれは関係ないか?)、とにかく真面目で実直なのだ。中学2年生ってこんなものだろうか。少なくとも私は小学生のときからすでにその子より捻くれていたように思う。

純粋で裏表のないような人や、絶対に悪口を言わないような人、善意で動いているような人に出会うと困惑する。とは言っても純粋だとかそういう印象も外から見ただけのものだし事実どうなのかはわからないけれど、まあしかし純粋な人間ならそこを疑うこともないだろう。そういう人を嫌いだとは思わないけれど、自分と違う種族のように感じてしまい、どちらかというと理解できないものに対する恐怖のような感情が起こるのだ。なぜこうも自分と違うのだろう、どういう育ち方をすればこうなるのだろう、などと無粋なことを考えてしまい、そういう自分を余計醜く感じてしまったり後ろめたくなったりするし、私にそういう危機感のようなものを抱かせる「純粋な人たち」が怖くなったりする。

 

この歳になってようやく、私は自分を客観的に見ることが得意ではないということを思い知らされている。それもほとんど他人と接する中でわかってきたことだ。私は今まで自分を客観的に見ることができる方だと無根拠に思い込んでいて、つまり全くもって客観的ではなかったということで、とても恥ずかしくなった。しかしこの気付きすらも勘違いかもしれないし、もっと他にも問題があるかもしれないと思えてきて切りがないし、どこかで折り合いをつけなくてはいけなくなる。つくづく自分のことというのは考えれば考えるほど不毛に思えてくるものだ。