誰がために寿司は廻る

一人暮らしの社会人が好きなことを書きます

オタク

昨日レイトショーで劇場版TIGER&BUNNYを見に行った。

遅い時間なのにけっこう人がいて、中高生っぽい男子数人組と大学生ぐらいの腐女子グループが多かった気がする。

来場特典がもらえるかと思ってたのに特にもらえなくてションボリ。上映前に流れるキャラクター映像が週変わりみたいだった。でもやっぱり記念としては形に残るものがいいよなあ。でも映画のフィルムとか配布してもタイバニはまどマギアイマスと違って雄々しいキャラたちの戦闘シーンが多いから絵的にあまりありがたくないかもしれない。

ストーリーは普通に面白かったけど、敵と戦うアクションシーンがちょっと冗長だったと思った。でも迫力満点ではあったし私の好きなファイヤーエンブレムと折紙サイクロンが活躍していたのでまあいいかという感じだった。

最初、適当に文章を書いていたら上の1段落だけで3回も「まあ」と書いていて、慌てて直した。普段喋ってる文章って使いやすい単語を頻繁に使いすぎてしまうというか、少ない語句を使い回してニュアンスで会話している感が強い。特に最近はニュアンスで会話が通じてしまうような親しい相手としか喋る機械がなくて、その傾向が助長されているような気がする。「まあ」とか「なんか」とか「めっちゃ」とか言う度に電流が流れる装置を着けていたら3分も喋れないんだろうな。頭悪そうに聞こえるので直したい。

あと、普段目にしている文体が実際に口にする言葉に強く影響する現象について考えている。具体的に言うと、インターネットでの他人がよく使っている言い回しを現実でも使うようになってしまうといったことだ。私の周りでは「〜といった感じだ」「〜したさ」「絶対〜しような」などが多い。人によってはオフ会でもこういう言葉を使いまくったりしているのだけど、ちょっとこれは個人的にかなり恥ずかしい印象があるので、意識してそうならないようにしている。言い回しそのものもちょっと気持ち悪いし、ネットに肩まで浸かりきっていることがあからさまになってしまうのも恥ずかしすぎる。私も漫画にどっぷりだった頃は、漫画のセリフ回しにそれはもう影響されまくっていて、端から見たらたぶん相当気色の悪い子供だったのではなかろうか。多感な中学生時代だったことと演劇部に所属していたことを言い訳にさせて欲しい。その後わりと反省(?)して一度は漫画的な口調は軽減されたのだけれど、また違うジャンルで同じことが繰り返されつつある。にゃんぱすとか言ってんじゃねえよ。

要は、同じ媒体にばかり触れているとバランスの悪い人間になってしまうということだと思う。話の内容についてもそうで、アニメしか見てない人間が口を開けばアニメの話ばかりするのは当たり前なのだ。オタクと呼ばれる人間の危うさや気持ち悪さはたぶんそういうところにあって、何かに詳しいことは悪いことではない、むしろどちらかと言えば良いことなのに、その知識のバランスが悪すぎて社会にうまくとけ込めないのがいけない。知識と良識があって思想やものの伝え方にそこまで偏りがなければ普通の優れた人として上手くやっていけるはずで、ブログとかニュースサイトとか小説とか論文とか新聞とか、いろんな文体やいろんな人に日頃から触れていれば、自分なりの文体と思想を作っていけるというか、少なくとも見失わずにすむんだろう。

そういえば幼い頃から親に「あんたは何かに夢中になるとそればっかりになるからもっとバランス感覚を身につけろ」とよく言われたし、学校で受けた心理テストでもワーカホリックだとか診断されたなあなんてことを思い出した。

がんばろうオタク。