誰がために寿司は廻る

一人暮らしの社会人が好きなことを書きます

悩んで選ぶということ

今まで22年以上生きてきて幾度となく選択を迫られる機会はあったけれど、どのような選択肢を選んでも後悔しなかったためしがなかったように思う。それこそ「今日のランチ」のような最小のものから進学や就職といった人生の選択ともいうべき大きなものまで。

それは私の選択肢の良し悪しや選択の方法どうこうというよりも、むしろ私の性格の問題なのだと思う。どの選択肢を選んでも、その結果に少しでも不満な点があれば選ばなかった他の選択肢の方が良く見えてきて、「あっちの選択肢の方にしておけばよかった」と考えてしまうのだ。逃した魚はデカいというか隣の芝は青いというか、まあ自分はそういう性格なんだなあと初めて自覚したのが去年くらいだった気がする。すでに選んでしまったものはどうしようもないし、どうしたって選択と後悔がセットになってしまう性分なのだから、悩むだけ無駄なのかもしれない。

私がコンビニや飲食店でいつも同じ商品・同じメニューばかり選ぶのは、後悔の気持ちを少しでも小さくするための自分なりの防衛方法なのではないか。食べたことのないものに手を出して後悔するくらいなら美味しいと分かりきっている方を選ぶ。そうすれば少なくとも失敗することはないし、選ばなかった方の選択肢の良さを知らないから幸せでいられる。保守的な性格も手伝って、この選び方なら後悔することはあまりない。この法則を発見したのも比較的最近のことである。どうも私は自分について考えることが苦手というかそういう習慣がないので、気づきが遅れがちである(これも最近の気づき)。

「今日のランチ」レベルならそうやって後悔を軽減させる方法もいくつかあるけれど、選択の規模が大きくなってくるとそうもいかない。そもそもそういう大きな選択は往往にして前例のないパターンであることが多くて(進学だって就職だって恋愛だって、そうそう何度も経験するものではない)、「いつもの」というわけにはいかない。「まあ私の人生こんなもんか」と開き直ることも割とあるけれど、それはあまりに寂しいのでできれば避けたいところ。そうなると長期間徹底的に考えて悩みに悩んでから選択をするしかない。そうすると「選択の失敗による損失<悩んだ分のコスト」となるので、脳が後悔することを自然と拒否するようになる。……これ面白いと思うんだけどどうだろう、そうでもないかな。

そろそろこの記事を書くコストが書くことで得られるものを上回りそうなので、この辺で終わりにしたい。