誰がために寿司は廻る

一人暮らしの社会人が好きなことを書きます

見知らぬ女の子に1200円もらった話

 せっかく書いたので、公務員試験のときの記事を再掲します。

 

 

 ついに私の7ヶ月に渡る就職試験が終わった。

 

 とはいえまだ試験に受かったかどうかはわからないので終わったという表現は適切ではないんだけど、もう私にできることは何もないという意味では終わった。人事を尽くして天命を待つ、という言葉が浮かんだ、けれど人事を尽くしたかと聞かれるとハイと答えることができない。この就職試験に限らず私は何をするにしてもそういう傾向にあって、とにかく腰を上げるのが遅いというか、ギリギリのところまで粘れるだけ粘ろうとするので、十分に全力を出し切ることができないままに終わってしまうことが多い。言い訳をしておくと、この悪癖が発揮されるのはあくまでそれが今回のような、自分ひとりの問題の場合だけである。クラスで仕事を頼まれただとか誰かと何かのプロジェクトに参加するだとか、他人が絡んで来るときには一丁前に「ちゃんとやらなくては」と思うし、早すぎるほど早めに行動できる。でもやっぱり誰にも迷惑がかからない自分一人の問題だと思うと俄然やる気が失われてしまうのである。

 公務員を受けようと思ったのが、去年の後期日程が始まってからだから、おそらく10月ごろ。地方自治体に就職した先輩から公務員試験とはどのようなものなのか、というお話を聞いたのが11月の上旬。ちゃんと勉強を始めたのは12月に入ってから。11月はなにやってたんだ。たぶん何もしてない。筆記試験は5月の頭、面接は6月末だったので一応半年ぐらいはあったと思うんだけど、いろいろな公務員試験予備校の案内なんかを見ていると一般的な公務員志望者は夏前から早い人は2年生のときから対策を始めているということがわかり、私はかなりギリギリだったのだなと思った(でも2年生からはさすがにやり過ぎだとも思った)。きっとこれ以上遅れていたら危なかったのではないか。

 

 筆記試験のことはまあ気が向いたら後々書くかもしれないが今はひとまず置いておいて、先日の面接試験について書きたいと思う。

 

 2次試験の面接はお台場の埋め立て地の上にあるテレコムセンターという場所で行われた。6月上旬、1次試験の合格とともにそれを知って「面接会場は海上ってか!ガハハ!」などと言っていたのが遠い昔のことのように思える。面接は2回あって、2回とも同じ部屋で同じ面接シートを使って面接を受ける。違うのは面接官だけである。

 

 1回目の面接の日、私は傘を持たずに家を出て、案の定雨に降られた。いつもマイナス思考な私には妙に楽観的なところもあって、まあ雨降っても何とかなるだろうと踏んでいたのだが、豊洲からゆりかもめに乗り換える際になんと15メートルほど屋外を経由しなければならならず、スーツを濡らすわけにもいかず困った私はその辺にいたおばあちゃんを捕まえて一緒に傘に入れて頂いたのだった。しかも一人だと思って声をかけたおばあちゃんには実はおじいちゃんも一緒に居て、さらに折りたたみ傘が1本しかないらしかった。先に私を傘に入れて乗り換え先に送ったあと、駅に戻っておじいちゃんと一緒に往復してくださったのだ。感謝の気持ちと脳に障害のある自分を恨む気持ちでいっぱいになった。

 

 その後の面接は緊張しすぎていて受け答えに必死で、大きい声でハキハキと話すのをすっかり忘れてしまっていた。私の演劇部での5年間とは一体何だったんだろう、いやでも演劇部に入っていなかったら今以上に酷かったのかもしれない、と思った。実際、家族以外の人と話すどころかまともに顔を上げて対面することもできなかった幼少期に比べれば遥かにマシになったように感じる。だいたい不特定多数の観客の前で決められたキャラクターを台本どおりに演じるのと、小さくて真っ白な箱で3人の怖そうな社会人を相手に自分自身について語るのとでは全く違うのだから関係ない。演劇部はなにも悪くない。

 1度目の面接では主に、学生時代に力を入れたことについて、志望動機とやりたい政策について、アルバイトについて、など満遍なく聞かれた。政策について思っていたよりかなり深く掘り下げられたので焦ったものの、内容に関して大きなミスはなかったと思う。

 

 集合してから面接開始までは1時間半以上待たされ、心臓が保たないのではないかと思ったりもしたが、面接が終わって退室し案内の人に番号と氏名を告げた後は、「もう帰っていいですよ」と言われたかどうかは定かではないがまあそういう雰囲気で、拍子抜けするほどあっさりしていてとても不安になった。

 行きは切羽詰まっていたので景色どころではなかったが、帰りはガラガラのゆりかもめに揺られながらボーッとお台場を眺めていた。広い埋め立て地のとある区画に土がむき出しになっているところがあった。その土の上には鉄骨やら何やらが無造作に置かれていて、ブルドーザーやショベルカーのような機械も見えた。雨が降っていたからか人の姿はなかったが、見たところオリンピックに向けて何かを建設しているようで、この工事も東京都が仕切ってやっているのかなぁ、もし東京都に勤めることになって、本部ではなく現場に配属されたらこの作業現場の土を踏む可能性もあるのかなぁ、と考えていた。

 

 1日目は傘を忘れ、その他にもいろいろなトラブルがあったが、なんとか無事終了した。

 それから約一週間後、2日目の面接である。

 ここで挽回するしかない、万全の状態で臨みたい、そういった緊迫感のようなものはあったが、不思議とそんなに焦ってはいなかった。だから想定質問を少し直したり、のんびり新聞を読んで面白そうな記事をはさみでチョキチョキ切り取ったりしていた。関係ないけどはさみって全然はさむだけで済んでないよなといつも思う、はさみと言うなら用途的にはピンセットかトングのことを指すべきである。

 

 前髪をうまく分けられないことが1度目の面接のときかなり気になってしまったので、今度は面接に集中できるようちゃんと分けようと思い、就活ヘアスタイル講座なるものを見ながら、前髪をピンで留めてカールさせるピンカールなるものをやってみた。しかし髪が直毛すぎてなかなかうまくクセがつかず、生まれて初めて自分の直毛を憎いと思った。そこで面接の前日からカールを仕込んだまま眠ることにしたところ、お辞儀をしても崩れない最強の面接ヘアスタイルが完成した。

 

 ここでまたギリギリまで動こうとしない癖が出てしまい、かなり危うい時間に家を出発することになってしまった。まあそれでもなんとか15分前には会場に入れるぐらいの時間ではあったので、ゆりかもめに乗って一息ついた。その安らぎも束の間、電車を降りるときになって事件は起きた。

 改札から出られないのである。PASMOのチャージ金額が140円不足している。確かに始めに電車に乗るとき、目的地までは運賃が確実に足りないであろうことはわかっていて、けれど私には前日に母親から返してもらった1万1000円余りをそのまま財布に入れた記憶が確実にあったし、急いでいたこともあって、じゃあ初乗り分の料金は入ってるしひとまず乗ってしまって降りるときに精算すればいいやなんて考えていた。では何故それができないのかと言うと、1万1000円が入った財布をまるっと家に忘れてしまったのである。家を出るときに「何か忘れ物をしてる気がする」と思ったのだが、気のせいも含めて普段から「何か忘れ物をしてる気がする」のはしょっちゅうなので、そう思ってもあまり気にしないで出かけてしまうようになっていたのだ。

 最悪である。どうしよう。就活カバンのどこにも緊急用のお金なんて入っていない。小学生のころ切符をなくして半ベソになりながら駅員さんに頼み込んで怒られながら改札を通してもらったことを思い出して、同じように駅員さんに頭を下げれば通れるかもしれない、と思った。しかしあのときは小学生だったからなんとか許されたものの、大の大人、22歳児がそんなことをしてただで済むという保障はない。それに断られたら恥ずかしくていたたまれなくて消えたくなると思う。

 やっぱり通りすがりの人にお願いして交通費をもらうしかない。せめて今改札を出て面接会場にたどり着くだけでもいいから、帰りの交通費をどうするかは面接が終わってから考えよう、とりあえず今は改札を出るだけで良い、このご時世140円ぐらいなら誰か恵んでくれるだろう……。お金を持っていそうでなおかつ優しそうな人を血眼で探しながら、改札を通ろうとする人を捕まえやすそうな位置で待ち構えることにした。さながら虎視眈々と獲物を狙う動物である。5分ほどそこで張っていたが、なかなか快くお金をくれそうな人が現れず、このおじさんなら金持ってそうだしちょっと行けそうかな!?と思っても尻込みしてしまって話しかけられなかったりした。

 そのとき、私と同じように黒いリクルートスーツに身を包んで髪をキッチリ結った女子が足早に歩いてくるのが見えた。絶対に私と同じ都庁受験者だ、少なくともどこかの面接に向かう就活生だと確信した。これを逃したらもう改札を出る機会はないような気がした私は、迷うことなく近づいて早口で事情を説明した。彼女ははじめ驚いた様子であったが、私が説明をし終わるよりも前に「えっ、はい!あっそうなんですか!?いいですよ!!」と鞄から素早く財布を取り出してくれた。私が「本っっ当にごめんなさい、140円あれば改札が出られるんですけど…」とできる限り申し訳なさそうに言うと、彼女は「140円ですか?じゃあこれどうぞ!」と200円をくれた。助かった、本当に助かった。これで面接が受けられるのだ、彼女は間違いなく私の人生の恩人だ。お金を返せる可能性はほとんどないのに、彼女も急いでいるだろうに、本当に申し訳ないことをした、と私はしきりにペコペコした。しかしそればかりか彼女は、「あとこれ帰りに使ってください!」と1000円札を手渡してくれたのだ。おったまげた。200円だけでも十分ありがたいし申し訳ないのに、そんなの受け取れないです、と言ったのだが、彼女はいいんですいいんですと言うし、時間もないのにこれ以上ここでこんなやりとりをしているわけにもいかないと思い、結局、彼女の厚意にあっさり甘えてしまった。死にたい。

 案の定彼女は都庁の面接受験者で、彼女と一緒に面接会場に向かった。会場までのエレベーターの中で、今日暑いですね、私は技術職の土木を受験したんですよ、それはそれは、私は事務職ですけど、技術職だと女性は珍しいんじゃないですか、そうですねえ、なんて世間話を交わした。こうしてちょっとした世間話ができることはみんなにとっては当たり前のことなのかもしれないけど、同じ組の人とちゃんと話もできなかったかつての自分からすれば、我ながら本当に成長したと思えた。方向オンチも昔よりはマシになったので、面接にも無事間に合った。

 

 面接は1回目と同様に基本的には和やかな雰囲気だったが、前回よりも答えにくい質問が多く、和やかにじわりじわりと追い詰められた印象を受けた。前回と同じ質問もいくつか受けたので、1回目の面接官から前回の面接内容は引き継がれていないのかな、と思った。それから、政策についての質問は少なめで、「もしあなたがこういう状況に陥ったらどう対処しますか?」「ではそれもダメだったらどうしますか?」という想定型の質問が主だった。時間が余ったり喋りすぎたりということはなかったので、分量的には十分な応答ができたとは思うけれど、内容や態度がどう評価されているかがいまいちわからない。もっとああすればよかったとかこう答えれば良かったとか、思い返せばきりがないが、今の私にできるだけのことはやった。受かっていても落ちていてもおかしくないと思っている、思ってはいるけれど、実際に落ちていたら平常心でいられる自信はあまりない。それでも、結果を真摯に受け止めてめげずに就職活動を続けなくては、という気持ちはちゃんと持っている。

 

 どこからどう見ても全面的に私が悪いのだけれど、振り返ってみるとトラブルの多い面接だった。こんな調子で社会に出てやっていけるのだろうか。不安しかない。

 しかし私が無事に面接を済ませて今こうして一息ついていられるのも、見ず知らずの私に1200円をくれた彼女のおかげだ。感謝してもしきれない。あの日、面接の受付を済ませたあと、彼女に一応連絡先を渡そうと、ちぎったルーズリーフに名前とメアドを書いて、それを彼女に渡す機会をうかがっていたのだが、それはとうとう叶わなかった。エレベーターで世間話をしていたときに、名前だけでも聞いておけば良かった。

 

 色白で線の細い、それでいて明るく人の良さそうな彼女の顔をずっと覚えておこう。お互いに都庁に合格して、もしいつかどこかで会うことがあれば、改めてお礼を言おうと思った。