誰がために寿司は廻る

一人暮らしの社会人が好きなことを書きます

26回目の誕生日

先日、誕生日を迎えた。

Twitterではもちろん、最近はLINEのタイムラインにも友達の誕生日情報が表示されたりなんかするらしい、何人かの人がメッセージをくれて、素直にワーイ嬉しいなと思っていたけど、よく考えたら(よく考えなくても)20代後半だし、母が私を生んだ年齢だし、嬉しいと思っていいのかな、もう少し焦るべきなのかな、でも焦ってもできないものはできないし、仕方がないよな。

 

いや、26歳って、まだ16歳ぐらいの気持ちではいるんですけど……とか思って、10年間を振り返ると、意外と自分には変化があったことに気づく。

まず、ここ数年の成長といえば、テレビを見るようになって芸能人が人並みにわかるようになったこと、営業で心身ともにタフさを身に着け、人と話すのが前ほど苦ではなくなったこと(でもアパレルの店員さんはまだ無理)、嫌いな食べ物が減ったこと、本を読むようになったこと、独立して一人で暮らしていけるようになったこと、などなど。

食べ物、色、服飾品、雑貨、デザイン、風景、本、漫画、人、あらゆるジャンルにおける自分の好みをハッキリ自覚できるようになってきたし、自分がどんな性格で、何をしたら楽しく、あるいは不快に感じるのか、自分がどういうときにどういう感情を抱くのか、また、それは何故なのかが、前よりも明らかに分かるようになっている。例えば、親戚の集まりで自分が幼いころの失敗話を何度もされるのが嫌な理由は、まず私は人が人前で恥をかかされているのを見るのが嫌で、そして幼い頃の自分が時を遡って現在に無理やり引っ張り出され、何度も人前で恥をかかされているような錯覚に陥るからだ、とか、そんな分析ができるようになった。といってもやっと認知が出来てきただけで、感情のコントロールとかはまだ下手なままだ。他の人よりは周回遅れぐらいな気もする。

一言で言ってしまえば「自分がどういう人間なのか」がやっと掴めてきたし、「自分が他人からどう思われているか」を自意識過剰になりすぎず、ある程度ニュートラルな頭で考えられるようになった。「自分から見た自分」と「他人から見た自分」が限りなく近づいてきたと言い換えてもいい。アイデンティティの確立である。

 

四半世紀かけてアイデンティティを確立した自分が、次に何をどうしたいか。

一言でいうと「ちゃんと暮らす」だ。朝早めに起きて、何でもいいけど朝ご飯を食べて、毎日遅れず出勤して、仕事を言われた通りにこなして、常識的な時間に退勤して、夜はあまり遊ばずまっすぐ帰って自炊して、お皿は溜めずにその日のうちに洗って、掃除もこまめにして、適度に運動もして、ゆっくり湯船に浸かって、液晶ばかりではなく紙の活字も目に入れて、健康的な時間に寝て、早めに起きて……。

でも、今までの私って、目標を決めてもいつも「やるべきこと」が出来ずに「やりたいこと」にかまけてしまっていたのだけれど、ふと「やるべきこと」が「やりたいこと」にシフト出来たら最強だなと思った。

例えば、掃除(「やるべきこと」)をしなければいけないけど、ゲーム(「やりたいこと」)が止められない、みたいな状況で、掃除を「やるべきこと」かつ「やりたいこと」だと思えれば掃除ができるじゃん、と思ったのだ。

「やるべきこと」→「早めにやっておかないとまずいこと」→「今やっておいてしまいたいこと」→「やりたいこと」、というふうに、両者を分けずに、「やるべきこと」を「やりたいこと」と一緒にしてしまえばいいのだ。本当に「やりたいこと」とは「やりたい」の意味がずれるけど、ゲームだって惰性でログインしてたり、本当にやりたいかどうかっていうと微妙なものも多いし。

イメージとしてはこう。総合点で掃除の勝ち。

 

           掃除    >   ゲーム

「やるべき」       ◎            ×

「やりたい」       〇              〇

 

こんな感じで「ちゃんと暮らす」という目標に少しでも近づくことができるか、しばらくやってみようと思う。何も考えずに勉強や部屋の掃除ができる人はこんな記事のことは忘れてそのまま生活して下さい。

 

それから、日記を毎日書くのはやめることにした。

理由は大きく分けると2つ、

・単に日記を毎日書くだけの余裕がないから。今までは通勤時間を利用して書いていたのが、通勤時間帯が変わったことでラッシュに巻き込まれ、書くのがしんどくなった。帰りは疲れていて気力がないし、かといって溜めてしまった日記をあまり遡って書いていたのでは日記の意味が薄れる。

・毎日日記を書くことに意味を感じられなくなってきたから。変わり映えしないというか、今のやり方では毎日の行動を機械的に記録するだけになる。書くなら週に1度とか、旅行に行ったときとか、今度みたいに加齢したときとか、書きたいことがあるときだけにした方が、筆者にも読者にもやさしいのでは。それに最近は読書とか他にやりたいことも多いし、もう少しインプットにも比重を置いた方が結果的に良いものが書けると思う。

つまり今、「やりたいこと」でも「やるべきこと」でもないのだ。

 

そんなわけで、26歳は少しだけがんばる歳になりそうだ。